畠山千春さん主催の屠殺ワークショップに参加し、学んだ工程を絵にしてみました。
このような内容を(しかも、このようなタッチで)描くこと自体、ご批判もあるかもしれません。僕自身、描きながら迷いも生じました。ただ、屠殺の現場を見たり、体験するということと、鶏って殺して食べてるんだよーという話だけとの間を埋めるものがあってもいいかもしれない。そんなことを考えながら描いてみました。
◎絵・文 ナオヤ(agasuke)
Facebookでは、興味深いコメントをたくさんいただきました。
ありがとうございます。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=383481001672130
感じたこと・考えたこと
ワークショップの中で、僕が自分の手で直接触れた部分は、
●捕まえたあとの鶏を抱っこしたこと
●切り落とした生首を手のひらの上においたこと
●お腹を切って内臓を取り出したとこ
で、
絶命をさせる瞬間は、自分の手で行なっていないし、
首を落としたあとの暴れる身体を押さえてない。
だから、ちょっと体験としては、偏ってしまったかもしれない。
生きてる鶏を抱っこして、その柔らかさと、小型犬のようなぬくもりを感じ、
まだ温かい生首を、ずっと手のひらの上で、ハムスターを愛でるように撫で続け、
内臓の温かさを感じながら引っ張り出して、
これらの体験は全部、愛おしいと感じました。
生も死も、食べるも、あえて変なこと言うとエロも(いや、別に興奮したわけではなく)
なんか漫然としたひとつのもののように感じました。
どこまでが鶏で、どこからが肉と感じるかという問題については、
映像だけで見てる分には、羽をむしったところからかなと思ってましたが、今回、facebookで参加ボタンを押したときから自分にスイッチが入ってしまっていたこともたぶんあって、僕の中では最初から最後まで、命ある鶏であり、肉であり続けました。
畠山千春さんの当日のblog
» 一羽のニワトリからはじまる、いろんなこと。|ちはるの森
Here is PDF.
https://agasuke.net/itadakimasu/download/howtoA4_en_v04.pdf
いただきますをさがそう
»『世界屠畜紀行』 内澤 旬子 (著)
»『屠場』 本橋 成一 (著)
»『牛を屠る (シリーズ向う岸からの世界史)』 佐川 光晴(著)