美味しく、たくましく。まるふ農園の日々。

「まるふ農園」の大根と人参をスープにした。
出汁は昆布だけ、具は野菜だけ、調味料は塩だけ。それでもスープはハッとするほど甘く、大根からは大根の人参からは人参の濃厚な香りがして、今自分は生きている野菜の命を「いただいている」のだと感じた。

まるふ農園が愛媛県の離島・弓削島で新たに就農したのは2014年4月。営むのは2011年に東京からIターンで移住した、古川優哉さん(30)、藤巻光加さん(31)のご夫婦だ。

◎文・写真 増田薫

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「野菜と小さないきものたち」

ふたりの自宅兼事務所がある弓削島から隣の佐島まで、海上を伸びる約1kmの橋を小さな車で渡り、古川さんと藤巻さんは、町内に点在すると言うまるふ農園の畑のうちのひとつへと案内してくれた。
そこは軽トラックがようやく1台通れるほどの狭い山道を登った「東風浜(こちばま)」と呼ばれる傾斜地。元はかんきつ畑だったという一角から枯れた木々を取り除いて開墾したそうだ。

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細い道を移動するために、島の暮らし、島の農業では小さな車が活躍する。

水菜、小松菜、聖護院大根、島人参・・・。その地の名の通り、眼下に広がる瀬戸内海から流れてくる潮風を浴びながら日々大きくなる冬野菜の畝には、小さな野草が地面を覆うように生えている。
その中の、クルリと撒いた細いつるを見て、古川さんが「ほら、カラスノエンドウです」と教えてくれた。

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野草に囲まれて育つ人参。冷たい空気の中でもどこか温かそうに見える。

カラスノエンドウやクローバーと言ったマメ科の野草の根には根粒菌が生息する。それは土壌の栄養分となる「窒素」を空気中から土の中へと取り込んでくれる、野菜にとってはいわば成長を助けてくれる、大切な存在だそうだ。
「それ以外の野草でも、畑の畝に生やしておくことで、虫や微生物などの住処になり、畑の生態系はうまくバランスがとれたものになります。他にも、草の根が畝に張り巡らされることで、あえて人が耕さなくても自然に土がほぐされて柔らかくなるんです。野草が生えていることによる利点は多いんですよ」
土や野草にそっと指を触れながら、古川さんは丁寧に説明を続ける。
「でも、畑をほったらかしにするという訳ではないんです。伸びた野草は適切なタイミングで刈り取って、野菜の根元に置きます。すると、その下には未熟な有機物をエサにするダンゴ虫などのちいさな虫や菌類たちが住み始めそれらを分解し、腐葉土のような層を作ってくれるんです」
生きものがたくさん住んでいるのは良い土の証拠だと、古川さんは、草の下の土を指で掘り手の平に乗せて、嬉しそうに笑った。

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丸々とした粒が混じる土。ふっくらと湿り、いい匂いがした。

 

「口に入れるものだから」とまずは無農薬、そして不耕起(ふこうき)、草生栽培(雑草と一緒に育てる)。まるふ農園の野菜はいわゆる「自然農」をベースに育てられている。
「うちの野菜の育て方は結構スパルタなんですよ」と藤巻さんは言う。

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野菜の葉をその場で千切って食べさせてくれた。普段も畑でそのまま、よくかじるそう。

「時期によっては敢えて水を与えなかったり、なるべく肥料をあげないようにします。そうすると植物自身が水や栄養分を求めて根を深く張ってくれる。与えられた環境、少ない肥料の中で『何とかしよう』とするんです」
その土地に息づくちいさな命たちと共に、まるふ農園の野菜はたくましく育つ。


「固定種」を育てること

まるふ農園の野菜はすべて「固定種」だ。

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オクラの種。自然が作ったその造形はアート作品のように美しい。

現在、一般の農家では、人工的に掛け合わせて作られる「F1種」と呼ばれる種子を主に使用している。大きさや生育の速さが揃う、採れる量が多い、病気に強いなどの特徴があるが、できた種子を採ってもその親と同じような野菜は育たず、シーズンごとに新しい種を買う必要がある。
「今の野菜は大きさの決まった箱に入れて流通させるため、そこに合わないサイズのものは販売できません。だから形が揃うF1種の野菜が(その流れには)適しているのかも知れません」と古川さんが教えてくれた。

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一方でまるふ農園が使う「固定種」からは、育てた野菜から種を採る「自家採取」をすれば、その親と同じ性質を持つ種が採れる。
この固定種は品種改良されたF1種とは異なり、それぞれの野菜によって大きさや生育の速さにバラつきがあって、採れる量が少なく病気にも弱いが、それぞれに個性が強く、昔ながらのしっかりとした味わいを持っている。
まるふ農園の野菜の生き生きとした甘さや匂いの秘密は、種子にもあったのだ。

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固定種には、例えば「在来種」と呼ばれる、その土地で昔から育てられている野菜があげられる。

 

「畑との出会い」

今はこうして農家として瀬戸内の離島で暮らす古川さんと藤巻さんだが、ふたりとも、農家や飲食店に生まれたわけでもなく、古川さんは元専門書店、藤巻さんは元マーケティング会社勤務と、移住前に農業の経験があったわけでもない。
もともと、いつかは海の近くで暮らしたいと淡く夢みていたふたりが移住に向けて動くきっかけとなったのは、2011年3月に起きた東日本大震災だった。
「いかに生きる術を他に依存していたか思い知りました」と古川さんは、「毎日の食事や季節の移ろいを大切にしていきたいという気持ちが震災によって後押しされました」と藤巻さんは語る。そしてふたりは、離島群からなる瀬戸内の自治体・上島町へと移り住むことに。

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藤巻さんが「地域おこし協力隊」に採用されたのが上島町移住の理由。「地方に移り住む障壁となるのが仕事と住まい。その両方の足がかりをくれた仕事」と振り返る。

古川さんが初めて野菜を育てたのは、その上島町へ移住してから働き始めた、島のNPO法人「頼れるふるさとネット」でのことだ。耕作放棄地で裸麦を育て味噌作りを行う等プロジェクトを立ち上げる傍ら、せっかく土地があるのだからと、空き地になっていた事務所の中庭で野菜を育てることになった。
「今にして思えば見るに見かねたんだと思うのですが」古川さんは「近所のおばさんが色々教えてくれたり、自分で育てた苗を持ってきてくれたりしました。だから僕の最初の先生は、専業農家ではなくて島のおばちゃん」と教えてくれた。
やがてふたりは新たに知り合った島の人から、もっと大きな畑を借りることになる。
古川さん曰く「まさに『THE 耕作放棄地』。イタドリにススキにセイタカアワダチソウ・・・。根が張って厄介な草ばかりが生えている状態」だったのを、色々な人に手伝ってもらい、何とか開墾した。
「自分たちは特別すごい存在じゃない。むしろいろんな人に助けてもらいながら何とかやっている新米農家なんです」と古川さんは言う。

「古民家に暮らす」

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床を張り替え漆喰を塗り・・・。いろいろな人に助けてもらって、ひとつひとつ進めていった。

ふたりの事務所兼自宅もまた、島での出会いから「ご縁」ができ借りることになった、築100年の古民家だ。
当初は、「地域おこし協力隊」として自治体で働いていた藤巻さんに町が手配してくれた公営住宅に住んでいたふたりだったが、2014年9月いっぱいで任期が終了する前に、古民家を借り改修して引っ越した。
地方の自治体では空き家があるにも関わらず、家を貸す習わしが無いのが現状だ。移住したい場合も、親戚や知り合いがいないIターン者にとっては一軒家を借りることは難しいことも多い。
空き家と移住者を結ぶため、古川さんが勤務するNPO法人では、都市部からの移住希望者に向けて空き家を紹介する「島暮らしネット」を立ち上げている。
「実は僕自身が契約者の第一号です」と古川さんは教えてくれた。
そして、実際の改修を担当したのは主に古川さんだそうだ。
「私はちょっとしっくいを塗ったり。でも結局彼の方がうまくて・・・」と藤巻さんは笑う。そして古川さんも農業に続きリノベーションの経験はゼロ。
「初めはおもしろそう!と思ったけれど」古川さんは言う。「みんなに止められました。実際床は腐っているし、庭はジャングルだし・・・。でも一度借りるって言ってしまった手前、引くに引けなくて」
地元の元大工さん、地域おこし協力隊の仲間、町役場、新しくできた島の友人やふたりが移住してから新たにやってきた移住者仲間。畑を開墾した時と同じように色々な人に助けてもらい、何とか住めるまでに漕ぎつけた。
移住して3年。地道に地域や人と関わり続けた日々が、新しい暮らしにつながった。

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ふたりで作ったまるふ農園のロゴの下に、島で出会った人達とのスナップ写真が並ぶ。

これからの「まるふ農園」

近い将来、農家民宿さらには、農園で採れた野菜が主役の食堂を営みたいとふたりは語る。
「農業、しかも自然農で食べていくことは難しいし不安もあります。離島には家の前に広大な畑があるなんてことはなく、あちこちに散らばっているので管理も大変だし、条件は厳しい。就農したばかりで不安定な収入をサポートしてくれる『青年就農給付金』といった補助制度も今は活用しています」
そんなふうに農家の現実を教えてくれながら古川さんは「これからは農業、食堂、民宿と『農』をベースにいろいろなことをして、今までにない『農家モデル』を作りたい。野菜を直接売ることだけが農家ではないと思うんです。まだまだ新米農家で大きなことは言えませんが、そうすることで新しく就農する人たちの希望にもつながるといいなと思っています」と、希望を改めて語った。

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採れた野菜で漬物などの加工品を作るのは藤巻さん担当。「すごくクリエイティブ、一日があっと言う間」だそう。

藤巻さんも「私たちの商いは、不特定多数に向けてはできないんです。例えば、野菜の宅配でいったら50軒のおつきあいで十分。だからこそ、単にモノとお金の交換じゃなく、気持ちのこもったやり取りができると思っています。『まるふ農園の野菜は箱を開けるとたくましい香りがする』、『まるふ農園の野菜で味噌汁を作ると美味しい』など、お客様がわざわざ感想を下さるときは最高にうれしいですね。そんなふうにして、私たちがイキイキと楽しく自立できたら若い世代の人たちにもこんな生き方があるよって伝えられるかなと思うんです」と続ける。
だから民宿には、「島で暮らしてみたい」「農業をやってみたい」と言う若者たちにぜひ訪れてもらいたいとふたりはうなずきあう。

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離れの裏手は、お店に来た子どもたちが遊べる、「おままごとスペース」にしたいのだそう。

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芽吹いた地で出会った他の生き物たちと共に育つ、あの生き生きとした畑の野菜のように、瀬戸内の小さな離島で様々な人々と交わり共に暮らしながら、まるふ農園はきっと、一歩一歩そしてたくましく歩んでいくだろう。

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